堕落論/ 坂口安吾、十五少年漂流記-二年間の休暇(Deux Ans de Vacances)/Jules Verne(ジュール・ヴェルヌ)

堕落論 (角川文庫クラシックス)

堕落論 (角川文庫クラシックス)

日本文化私観

小菅刑務所とドライアイスの工場と戦艦。この三つのものが、なぜ、かくも美しいか。ここには、美しくするために加工した美がいっさいない。
(中略)僕の仕事である文学が、全く、それとおなじことだ。美しく見せるための一行があってもならぬ。美は、特に美を意識してなされたところからは生まれてこない。どうしても書かねばらぬこと、書く必要のあること、ただそのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。問題は汝の書こうとしたことが、真に必要なことであるか、ということだ。汝の命と引き換えにしても、それを表現せずにはやみがたいところの汝みずからの宝石であるか、どうか、ということだ。そうして、それが、その要求に応じて汝の独自なる手により、不要なるものを取り去り、真に適切に表現されているか、どうかということだ。
(中略)みたところのスマートだけでは、真に美なる物とはなり得ない。すべては、実質の問題だ。美しさのための美しさは素直でなく、結局、ほんとうの物ではないのである。要するに、空虚なのだ。そうして、空虚なものは、その真実のものによって人を打つことは決してなく、詮ずるところ、あってもなくても構わない代物である。法隆寺平等院も焼けてしまっていっこうに困らぬ。必要ならば、法隆寺を取り壊して停車場をつくるがいい。わが民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して滅びはしないのである。

十五少年漂流記 (新潮文庫)

十五少年漂流記 (新潮文庫)


二十一章から二十八章においての十五少年対ワルストンら六人の対決がスリリングある展開だった。
唯一のアメリカ人、ゴードンの大人っぷりがすごい。
少年たちだけで小さな民主主義国家を作り上げていて、
ブリアンとドノバンの対立も、ドノバンの危機をブリアンが命を懸けて救うことによって
最終的に和解する点は、ヴェルヌの民主主義と人間への大きな信頼が感じられる。

「冒険」という言葉は、森田思軒がこの本を訳す際に『冒険奇談 十五少年』として造語した、とのこと。